諦念

約一か月ぶりの更新...

ちょっと色々ごたついてたので...

 

さて,私は,「働くことに向いてないんじゃないか?」ってずっと疑問を持っていた.

でも,現代社会では働かないと,もしくはお金がないと,生きていけない.

だったら,働くしかない.

 

ちょっと諦め気味にそう考えていた時もあった.

「宝くじで一億円くらい当たらないかなぁ...」とか

「誰か私を養ってくれないかなぁ...」とか.

まぁ,自分のペースで生きていきたいって欲求があったんだけどね.

 

でも,

「よくよく考えたら,全部の条件を満たそうとするから苦労するんだよなぁ...」

なんて思うようになった.

だって,

「最低限,○○万円以上はもらいたい」とか

「こーいう環境で働きたい」とか

「こーいう仕事がしたい」とか.

色んなことを同時に満たそうとするから苦労するって気がする.

自分が守りたい最低ラインからまず始めれば良いのではないだろうか?

 

「こんな仕事がしたい」

その思いに給与だとか雇用条件だとか色んなことを加えていくと,一気に色あせて見える.

だからこそ逆に慎ましく,「この仕事さえできれば満足だ.結果は後からついてくる.」と思えば良いのではないか.

まぁ,今の仕事がどんなに譲歩しても全部不満の塊で,心身に影響をきたしているのなら辞めた方が良いけどね.

働きたくないでござる!

自己啓発」だとか,「生きる目的を見つけよう!」だとか,最近はそういった系統の記事がネットにも多く出回っている.

その中でよく焦点があてられるのは「やりたいことが見つからない」という現代の若者がよく直面する問題である.

この問題に対する答えと言うか,アプローチとして提唱されている方法が次の方法だ.

ズバリ,

 

「やりたくないことをリストアップしよう!」

 

というやつ.

やりたいことを見つける前にやりたくないことを見つけ出すというのは,一見効率が悪いように見えるが,的を絞り込むという意味では,目的に適っている.

まず,「やりたくないこと」という余事象を明らかにすることで「やりたいこと」という事象に集中・注目できるからだ.

 

...と言うことで,私もやってみた.流石に恥ずかしいので私の嗜好(この場合は嫌悪か?)を全部述べることはしないが一部抜粋すると...

・人に使われたくない

・時間的空間的に拘束されたくない

・気を使いたくない

...など.

うん.私は社会(特に会社組織)で働くことに向いていないんじゃないかな(笑)

一言でまとめれば,

「働きたくないでござる!」

ってやつ(笑)

でも,実際,この気持ち持ってる人って結構多いと思う.

一度きりしかない人生で自分の嫌な事やり続けるのって何だかもったいない気もするしな.

人間,職を失ったって,死ぬことはないんだし,自分のやりたいことを追究するために生きるのも一つの手だろう.

 

ちなみに,このことを友人に相談したら,

「君の人生だ,後悔なく生きたまえ」

と,コメント頂いた.

悩みとの向き合い方

仕事を人生の中心に据えると,それに従事する期間はおよそ40年ほど...

嫌々仕事をしているとなると,40年の間,嫌な気分を内に秘めて過ごさなくてはならない...

そりゃ,自分にとって仕事をしている時が一番幸せだったら,最高だろう...

 

けど,現実は甘くない.

好きな仕事に就ける人間なんてそうそういないし,好きな仕事の中でも人間関係の悩みやら色んな問題を抱えて生きていくことになるのだろう.

 

「悩みのない人間なんていない」

↑これは,私が学生時代にお世話になった技官の女性から聞いた言葉だ.当時,技官の方も結構なお年で確か70歳くらいだったと思う.この言葉は次のように続く.

「結局,人間は何年経って成長しても,環境が変わっても,悩みの種類が変わっていくだけなのよ.私は,ここまで生きて,ようやくそれを悟ったわ.」

みんな,色んな悩みを持って生きている.悩みが解決すればこの上なく嬉しいけれど,次にまた新たな悩みが生じて,延々とこのプロセスを繰り返すことになるのだろう.

また,技官の女性はこうも言っていた.

 

「悩み続けても問題が解決することはないわ.そりゃ,たまには良いアイディアが浮かぶ時もあるけど,大半は気分が暗くなるだけ.だったら,悩むことに時間を割くよりも他に楽しいこと見つけて,そっちに集中した方が良いに決まってるわ.」

考えても解決しないのなら,考えない方がマシ.仕事の悩みは仕事中は考えざるを得ないけれども,仕事が終わったら,そのことはスパッと忘れて自由に楽しむ.翌日のことはまた翌朝に考えれば良い,というわけだ.

とあるホームレスの話

友人から聞いた話だ.

友人(A子としよう)は,とてもコミュニケ―ション能力の高い子で,どんな人とでも気軽に話を始めてしまう.

ある日,公園に遊びに行った時,ホームレスの男と話をしたのだそうだ.

その中で,「今,幸せか?」という話題になった.

ホームレスの男はA子に次のように言ったそうだ.

「あぁ,幸せだよ.私たちは世間的に見れば,地位も金もなくて不幸に見えるかも知れない.だけど,社会とか人間関係とかそういったものに縛られることがなくなって,本当の意味での自由を感じている.これを幸福と言わずして何と言えるのだろうか.」

 

このエピソードは,現代の私たちの生き方に疑問を投げかけていると思う.

金や地位,名誉など我々が社会で生きる以上は手にしたいと思うものは多様であるし,物質的な豊かさの追求もまた目的の一つとなり得る.

しかしながら,そのようなものを得るために送る社会生活では,様々な『縛り』が存在していることもまた事実であろう.

現に,働きながら精神に異常をきたし,睡眠薬精神安定剤を飲みながら仕事を続けている人だっているし,憂鬱な顔をしながら会社に向かう人もかなりの数いる.

そのような暮らしを,「みんな感じている事だから」と受け入れてしまい,我慢しながら毎日を生きていくのも決して悪いことではないだろう.

だが,本当に『幸福な暮らし』を,『人間らしい生き方』を追究するとしたのなら,そのような生き方で良いと言えるのだろうか?

物質的な喜び・価値観を脱却し,精神的な豊かさを目指す段階に私たちはきているのではないだろうか?

何故働くんだろう?

人は何故働くんだろう?

よくよく考えたら,今の私の生活って,平日は会社のお仕事に奔走して,休日は平日の疲れを癒すためにマッサージ行ったり,ストレス解消目的でカラオケ行ったり... 今の休日の使い方って完全に翌週しっかり働くための準備期間になってるんだよなぁ...

これじゃあ,まるで働くために休んでるみたいじゃないか!本末顛倒じゃあないだろうか?休日は自分の好きな事をやるためだけにその時間を使うべきであって,決して仕事のための充電期間にするべきではないと思う.

多くの人々が盲目的とも言えるくらい毎日頑張って仕事をしている.仕事に人生の価値や目的を見出しているのであれば,それも良いかもしれない.だが,そんな人ばかりではないだろう.人生の中で趣味を充実させたい人だって,多い筈だ.

 

私は,これでも一応,旧帝の大学院卒だ.
これまでの人生で,周囲から「今頑張れば,将来楽になるから!」と言われて,それこそ小学校の時から,勉強やら仕事やらに打ち込んできた.

『将来,楽になる』...

一向にその気配はない.頑張っても頑張っても新しい課題が目の前に立ちふさがるだけだ.確固とした最終目標や目的があって,仕事を頑張るのなら良いだろう.
でも,そんな目的もなく悪戯に休日まで仕事の為の準備期間にしてしまう,あげくの果てに仕事は生活していくための手段でしかない...そんな状態はもうやめないか?

初音ミク

初音ミク買いましたわぁ!

学生時代からずっと欲しいとは思っていたんですけどね...

毎日仕事のことだけしてる人生も何か違うし,ひとつ趣味でやってみるのもアリかなと思いまして...

完成したら,うpしてみたいと思います.

しばしお待ちを...

日報

今日,こんな話を聞いた.

新入社員のKくんの勤める会社では,「日報の作成は必ず業務時間外に行うこと」と決められているのだそうだ.

勤務時間は仕事を行うための時間なのだから,日報の作成はその時間外に行わなくてはいけないらしい.

 

私はこれについて疑問に思わずにはいられない.

日報の作成も仕事の内ではないのだろうか?

上の定義に従うのであれば,「日報作成は仕事ではない」とみなして良いことになる.仮に仕事でないとすると,業務時間が終わった後に仕事以外のことをするために会社に残っているということになる.これは不可解極まりない.それに仕事でないなら,やる必要性は皆無である.日報は書かなくても良いということになる.

報告も立派な仕事である.したがって,日報の作成を勤務時間内に行うこと自体なんの問題もないのではないだろうか?

 

「日報を仕事の時間中に作成するな」と言う上司に対し,私は物申したい!

「では,日報作成は仕事に含まれないのですか?だったら,作成の義務はありませんよね!」と.